熊本市内から南阿蘇村に向かう途中でも仮設住宅を見かけたのだが、「おんなじ形だから酔っぱらって帰ってくるとどれがうちかわからない」と地元の人が言っていた。
ニュースではあまり登場しないエピソードを聞いて嬉しくなった。
ニュースではあまり登場しないエピソードを聞いて嬉しくなった。
そして、Arduino賞には賞品があった。開発者自らの手によって、彼の手に、二台のArduinoが手渡されたのである。このことの意味がわかるだろうか?
これはたとえば、おもちゃメーカーの開発者からおもちゃが贈られた、というのとはぜんぜん違う話である。なぜなら、Arduinoは、部品だからだ。土屋くんがこれから始めることは、贈られた賞品をただ消費することではない。Arduinoという部品を使って、自分の手で何かを「作り始める」ことだ。Arduinoとはそういうものだ。だからこそArduinoには教育事業があり、その責任者であるDavidがいる。多くの人に、「ものをつくる」ことのすばらしさを教えるために。
もっというと、Arduinoは電子工作をたしなむ人ならみんなが使っている、世界中の技術者に愛されている製品である。それを与えること、それはまさしく、彼を「技術者の世界に迎え入れる」行為なのだ。
これはたとえば、おもちゃメーカーの開発者からおもちゃが贈られた、というのとはぜんぜん違う話である。なぜなら、Arduinoは、部品だからだ。土屋くんがこれから始めることは、贈られた賞品をただ消費することではない。Arduinoという部品を使って、自分の手で何かを「作り始める」ことだ。Arduinoとはそういうものだ。だからこそArduinoには教育事業があり、その責任者であるDavidがいる。多くの人に、「ものをつくる」ことのすばらしさを教えるために。
もっというと、Arduinoは電子工作をたしなむ人ならみんなが使っている、世界中の技術者に愛されている製品である。それを与えること、それはまさしく、彼を「技術者の世界に迎え入れる」行為なのだ。


